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CULTURE / MOVIE
[再配信]「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」
真新しい郷愁、未知のセンチメンタリズム

アップリンク・クラウドが展開する「Help! The 映画配給会社プロジェクト」。配給会社別に映画見放題パック配信を行っている。そこに、アジアと日本を結ぶカルチャーサイト、A PEOPLE(エーピープル)が参加。「台北暮色」、「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」、「あなたを、想う。(念念)」、「ひと夏のファンタジア」、「春の夢」(スプリングハズカム配給)の5作品を配信中。そこで、各作品のレビューを毎日、配信していく。第2回は「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」。


文章を綴っていて、いちばんいいのは、自動筆記状態になるときだ。
 己の意志や思考が、いつの間にか気にならなくなり、なにかに導かれるように、手ぶらのこころのままに、ことばが生まれ、次のことばにバトンを渡していく。
 それを書いているのは、確かに自分なのだが、主体性のようなものは既になくなっていて、書き手はただの「器」になっている。そこに、液体なのか固体なのかはわからないが、なにかが注がれたり、置かれたりして、ただそれを享受する状態と化す。
 考えないで、受けとるだけ。その連鎖と継続。そうして、「いつか・どこか」にたどり着く。 わからない。わからないが、一度はじまった文章は、やがて終わる。終わることになっている、と言うほうが正しいかもしれない。それは、わたしが決めたことではない。
 わたし以外のだれか。目に見えないだれかが決めたことに従っている。そのだれかとは生きものですらなく、ただのモノかもしれないが、とにかく自分に決定権がないことが、心地よい。なにも選べないこと。あるがままに、ついていくこと。過去もなければ未来もない。そのことに、ふと安堵している。これが、わたしが知っている自動筆記状態である。

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この映画の主人公はまさにそのような状態にあるのではないか。
 それなりに我の強いタイプではある。また、学者として自分の思考に自信も持っている。自発的に生きている自負もあるだろう。先輩の葬儀に参列したことから、慶州への旅を思いつき、ずっと気になっていたことを確かめようとする様にも主体性ははっきりある。そう、これは目的意識のある旅だ。流されているわけではない。
 だが、そうだったはずの彼は、目的地に着いてから、次第に主体性を失っていく。だが、それは、慶州という土地の磁場によるものかどうか。
 本作の魅惑は、「見知らぬ場所に迷い込む」というありきたりのフォーマットで、物語を規定しているわけではないことにある。あるいは、「旅が自分を発見させる」というような安直な展開でもない。
 そうではなく、プライドのある人物が、正体不明の他者(それは女性かもしれないし、目に見えない魔物かもしれないし、さらに言えば単なる物体、春画と呼ばれる芸術かもしれない)に呑み込まれることの愉悦を発見する過程がスリリングなのだ。そして、その過程が描き出す不可思議な情緒のグラデーションが行き着く果てで見せる光景に、なんとも言えぬ複雑な味わいがある。この監督の特異性は、脚本や演出、つまり筆致にあるのではなく、わたしたち観客の深層心理にふれてくるテクスチャにこそある。この感触はありそうでなかったものだ。真新しい郷愁。未知のセンチメンタリズム。精神のドアをノックするデジャブ。

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 だから、この映画をラブストーリーとして消化してしまう観客はいないだろうし、ミステリーやパズルとも思わないだろう。一風変わったファンタジーやホラー、と形容することは不可能ではないかもしれないが、既存の常識に準じたカテゴライズは独自のテクスチャを逃してしまうに違いない。
 文章を書く上で、自動筆記状態に「なる」ことは難しい。それは意図して向かうべきことではないからだ。たまたま「そうなっている」。ことによると、それは「恋する」という状態にも近いのかもしれない。相手にではなく、なにか「別のもの」に呑み込まれる愉悦こそが、恋と呼ばれるものだからだ。
 これはラブストーリーではない。だが、恋に呑み込まれる精神状態を引き伸ばし、活写した異形の一作でもある。

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Written by:相田冬二


「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」
昨年のベルリン映画祭で最新作「福岡」が上映されたチャン・リュル。次回作では、主演に池松壮亮を迎える合作が進行中。本作は、世界的な評価の高いチャン・リュルのターニング・ポイントとなった一作。韓国、古墳の街、慶州<キョンジュ>。この地を訪れた男・ヒョンと、そこに住む女・ユニ。韓国映画界を代表する名優、パク・ヘイルと、演技派に成長したスター、シン・ミナが競演。映像で人の心を書く、映画作家の美しき傑作。 キネマ旬報2019年ベストテン43位/アジア映画7位(A PEOPLE調べ)。

監督:チャン・リュル
出演:パク・ヘイル/シン・ミナ
2014年製作/145分/韓国
原題:Gyeongju
配給:A PEOPLE CINEMA

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パク・ヘイル 第2回「殺人の追憶」
パク・ヘイル 第3回「菊花の香り 世界でいちばん愛されたひと」
パク・ヘイル 第4回「初恋のアルバム 人魚姫のいた島」
パク・ヘイル 第5回「モダンボーイ」
パク・ヘイル 第6回「10億」
パク・ヘイル 第7回「神弓 –KAMIYUMI-」
パク・ヘイル 第8回「天命の城」

シン・ミナ 第1回「火山高」
シン・ミナ 第2回「美しき日々」
シン・ミナ 第3回「甘い生活」
シン・ミナ 第4回「Sad Movie〈サッド・ムービー〉」
シン・ミナ 第5回「今、このままがいい」
シン・ミナ 第6回「10億」
シン・ミナ 第7回「キッチン ~3人のレシピ~」
シン・ミナ 第8回「アラン使徒伝(サトデン)」

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