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CULTURE / MOVIE
「第19回東京フィルメックス」速攻レビュー
「幸福城市」
ネオ演歌としての、男の世界

「第19回東京フィルメックス」。A PEOPLE(エーピープル)では、連日、上映作品をレビュー。今回は、コンペティション作品「幸福城市」(台湾、中国、アメリカ、フランス)。

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ネオ演歌。そんな言葉が浮かんだ。そのようなジャンルが存在するのかどうかはわからない。だが、近未来を舞台にして、そこから主人公の人生をさかのぼっていく本作は、ネオ演歌と呼ぶより他はない独特の風情をまとっている。

2056年の台北。無人バスに象徴される未来的光景に新味はない。いや、「未来には新しいことなど起こりえないのだ」という諦念こそを、わたしたちは数々の秀逸な映画たちから学んできたのではないか。デジタル機器こそ、2018年とは微妙に違っているが、本質的な差異は見当たらず、衣服に関しては現代と何ら変化がない。風俗もまた然り。

老いが際立つ元刑事が暴力沙汰を起こす。そして何人かの女性と逢う。妻、娘、そして外国人。女、女、女。主人公の人生は、女への憧憬だけで成り立っていることを意識させる序盤である。そして、この予感は最後まで裏切られることはない。

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彼の青年時代が描かれ、少年時代が描かれる。女、女、女。女をめぐる人生の起点となるのは言うまでもなく、母親の存在である。どんな男にとっても「最初の女」は母なのだ。LOVEにせよ、HATEにせよ、「最初の女」は母。つまり、この映画は「母恋し」の思慕を歌う演歌であり、近未来的な装いはむしろ、演歌がはらむ古色蒼然としたたたずまいを際立たせるスパイスにすぎない。

暴力もあれば、セックスもある。だが、そうした要素もマザーコンプレックスの為せるワザなのだ。ハードボイルドなタッチも、荒涼とした夜の情景も、束の間の安らぎも、永遠の喪失も、すべてはマザコン的な精神が生み出した雑多な夢にすぎない。

この映画そのものに母性は見あたらない。母を求める演歌が、少しだけ調子っぱずれで歌われているだけだ。世の女性たちは本作を観てどう思うのだろうか。自閉と見なすか。哀れと感じるか。男の端くれとして、残念ながら、これもまた男の本質、と告白せざるをえない。演歌はどこまで行っても男の世界なのである。

Written by:相田冬二


「幸福城市」(台湾、中国、アメリカ、フランス)
Cities of Last Things
監督:ホー・ウィディン

第19回東京フィルメックス


A PEOPLE 第19回東京フィルメックス 速攻レビュー

<特別招待作品>
「川沿いのホテル」
「あなたの顔」
「草の葉」
「アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト(原題)」

<コンペティション>
「夜明け」
「象は静かに座っている」
「幻土(げんど)」
「幸福城市」
「轢き殺された羊」
「マンタレイ」
「シベル」
「自由行」
「ロングデイズ・ジャーニー、イントゥ・ナイト(仮題)」
「アイカ(原題)」


昨年の東京フィルメックスで上映
「台北暮色」11月24日よりロードショー