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CULTURE / MUSIC
韓国音楽芸能ヒストリー
「韓流」以前の韓国音楽芸能史を辿る 第3回「1970年代 後編」

1970年代、若者たちの間で一代全盛期を築いたフォーク・ミュージックは、先に紹介したように1975年末に起きたマリファナ事件をきっかけに徐々に沈滞していった。だが、衰退の大きな要因はもしかしたら、フォーク・ミュージシャン、彼ら自身の側にあったのかも知れない。次々とメインストリームの歌手になっていった彼らは、ますます既成タレントと化していく、自らのアイデンティティを喪失してしまう。彼らはもはや、若者文化のリーダーではなかったのだ。

このような中、チョー・ヨンピルは1976年『釜山港へ帰れ』でデビューを飾り、一方、フォーク・ミュージックに飽き始めていた若い音楽ファンの間ではゴーゴー音楽が流行り出す。ゴーゴー音楽とは、ダンス風8ビートのロック音楽で、すでに1960年代末から米8軍舞台で演奏するミュージシャンにより、若者たちにもてはやされていった。チョー・ヨンピルは米8軍舞台のバンドとしての経験を生かし、トロットのメロディにゴーゴーのリズムを融合させるなど新機軸を打ち出した。在日韓国人の母国訪問という当時の社会背景にも後押しされ、史上初のミリオンセラーを達成し歌謡界に新たなスターとして躍り出る。『釜山港へ帰れ』のヒットをきっかけに、ゴーゴー音楽は主流のサウンドとして広がりを見せ、リズムを得意とする米8軍バンドのボーカルたちは、次々とレコード会社からラブコールを受けてソロ・デビューすることになる。

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しかし、チョー・ヨンピルさえもマリファナを吸った疑いで活動を禁止され、レコード会社と放送関係者は新たな突破口を模索する必要に迫られていた。このような状況の中、1977年MBC TVで大学歌謡祭が企画される。同年9月3日、ソウル貞洞文化体育館で開かれた第1回目では、ソウル大学在校生で構成されたグループ・サウンド(バンド)Sand Pebblesが大きな反響を呼んで大賞を獲得した。彼らが演奏した軽快なリズムの楽曲『私どうしよう』は、放送とライブ・アルバムの発売を通じて一気に全国的な人気を集めた。韓国が誇る名門大学の学生たちが演奏する新しいロック・ミュージックは、もはや堕落した文化の象徴とはみなされず、軍部の弾圧対象でもなかった。彼らの影響から、瞬く間に大学生たちの間でバンドブームが巻き起こっていくことに。

一方、大賞受賞曲『私どうしよう』は、SandPebblesとともに予選に出場したサンウルリム※1が作った楽曲だった。サンウルリムは予選1位で通過したが、メンバーの中でキム・チャンワン※2が既に大学を卒業していたことから、本選に上がることができなかった。その後、サンウルリムは、レコード会社を訪れてデビュー・アルバムを発表するに至るが、それは従来とはまったく異なったスタイルの歌詞とメロディ、これまで聴いたことのないサウンドであった。1960年代にシン・ジュンヒョンから始まった韓国ロック系譜を、サンウルリムが引き継ぐ瞬間であった。

MBC大学歌謡祭の成功に刺激を受けたライバル局TBC東洋放送※3は、1978年TBC海辺歌謡祭※4を催して反攻に出る。これに対しMBCは1979年、MBC江辺(川辺)歌謡祭※5というもうひとつの大学歌謡祭を企画開催し、主導権を握ろうとした。放送局間のし烈な争いの中で、大学歌謡祭から登場した現役大学生ロック・バンドやアーティストたちは、やがて歌謡界の中心勢力として形成されていった。当時の大学歌謡祭の人気は、最近放送中のオーディション番組『SUPER STAR K』や『K-POP STAR』などの人気をはるかにしのぐ勢いがあった。当時、大学歌謡祭出場の夢を叶えるために、演奏の代わりに勉強に励む高校生が増え、歌謡祭の夢が叶わないまま大学を卒業することになると、別の大学へ再入学するという笑えない現象まで引き起こした。

このように大学音楽祭は1970年代末、若者たちの熱狂の中、歌謡界に新風を吹き込んだ数多くのシンガー・ソングライターを生み出し、サンウルリムと共に、沈滞ムードの漂っていたロックシーンを切り開いた。さらに、ほかにも様々な若者たちによるカウンターカルチャーに影響を与えながら、1980年代に向かって進んでいく。

※1.サンウルリム:キム・チャンワン(ギター&ボーカル)、キム・チャンフン(ベース)、キム・チャンイク(ドラム)の三兄弟で構成されたロック・バンド。1970年代末、低迷気味であった歌謡界でサイケデリック・ロックなどを披露し、彗星のごとく登場。以降、13枚のアルバムを発表して、様々な音楽ジャンルの発展に大きな足跡を残した。2008年、キム・チャンイクがカナダでの事故で死亡し、公式解散。

※2.キム・チャンワン:サンウルリムの長兄/リーダー。ふたりの弟が軍入隊と就職のため、音楽活動ができない間にもサンウルリムとして活動を続け、2008年以降からキム・チャンワンバンドとして活動している。2008年半ばから俳優活動を並行、ドラマ『白い巨塔』『コーヒープリンス1号店』『僕の妻はスーパーウーマン』『馬医』などで印象的な演技を披露している。

※3.TBC東洋放送:1964年にサムスングループが開局した民営放送。民放の特性上、ドラマや芸能番組が大きな人気を集めたが、1980年、第五共和国政府により強制的にKBSに統合された。これにより、FMラジオはKBS2FMに、TVはKBS2TVになった。現在のKBS別館は、TBCの巨額の投資による新社屋である。

※4.TBC海辺歌謡祭:TBCが企画した大学歌謡祭。第2回大会から『TBC若者の歌謡祭』という名前に変更して開催された。放送局強制統合により、わずか3回で幕を閉じたものの、MBC大学歌謡祭に比べてバンドの本選進出ウエートを高め、1970年代末~1980年代初めに大学街にロック・バンドブームを巻き起こした。

※5.MBC江辺(川辺)歌謡祭:1979~2001年まで、毎年夏に『冬のソナタ』のロケ地として有名な南怡島などで開催された。MBC大学歌謡祭に比べて商業性が強く、イ・ソンヒ、イ・サンウン、パク・ミギョンなど1980~1990年代を代表する歌姫たちを生み出した。映画『シュリ」のハン・ソッキュも1984年本大会に参加している。

主な出来事
1976年  チョー・ヨンピル『釜山港へ帰れ』を発表
1977年  第1回MBC大学歌謡祭開催/サンウルリム、デビュー・アルバムを発表
1978年  第1回TBC海辺歌謡祭開催
1979年  第1回MBC江辺(川辺)歌謡祭開催

Written by:李晟煕 イ・ソンヒ(PANCROSS.INC)


李晟煕 イ・ソンヒ
1965年 韓国生まれ
1989年 MBC江邊歌謡祭大賞曲作詞、プロ作詞家デビュー
1990年 韓国音楽著作権協会会員
1990年 地球レコード入社(Domestic A&R担当)
1990年 文化観光部主催の著作権実務専門家講座修了
1997年 地球レコードA&Rチム長(Domestic総括)
2000年 (株)OXY入社,音楽事業チム長
- 韓国最初のネット配信サイトO2Musicロンチング
2006年 (株)パンクロス設立
- avex music publishing社などの音楽出版社と韓国作家の日本パブリッシング展開
- 韓流ぴあのグルメ、K-POP関連コラム連載、歴史ドラマなどのMOOK参加
2014年から作曲家・ピアニスト梁邦彦氏の韓国マネジメント担当