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CULTURE / MOVIE
「はちどり」
強い目の光をもつ14歳の日常

2020年6月の東京で、1994年のソウルに住む中学2年生のウニのことを考えている。

両親と姉、兄との5人暮らし。高圧的な父が兄ばかりを優遇する一方で、高校受験を控えた兄のストレスは限界で時にウニに暴力を振るう。母は見てみないふり。団地の部屋の中にはうっすらとした緊張感が常に漂う。学校に行っても授業は退屈で、先生は「一流大学に入る」という未来しか示してくれない。とはいえ、彼女は“不幸な”だけの存在ではない。別の学校に通うボーイフレンドとはデートを楽しみ、自分に好意を寄せる同性の後輩に対しては、その心を弄ぶような態度も見せる。この映画が長編第1作となるキム・ボラ監督は、自身の経験をもとに生み出したウニというキャラクターを通して、人間の中にいかに多様な感情や態度が共存しているかということを示す。監督はスペインでこの映画を見た女性観客から「ウニは私」と書いたメモを渡されたというが、このエピソードからも、極めて限定された世界を描いたこの映画が、文化や時代を超える普遍的な響きを持っていることがわかる。

14歳という、大人と子どもの間のような年齢はかなり厄介だ。大人の弱さもズルさも理解できるくらい成熟しているのに、それに立ち向かっていく(あるいは身をかわしていく)術を持たない。そのことがウニの毎日を息苦しいものにしているのだが、ある日、彼女は親友と放課後に通う漢文教室で新しい女性講師ヨンジと出会う。彼女の背景が詳しくは語られないが、名門ソウル大学を長く休学していること、労働運動の歌を歌うこと、どこか寂しげに見えることなどから、90年代前半に多くの死者を出した学生運動の近くにいた人ではないかと予想される。窓の外を眺めながらタバコをふかす女性など、おそらく見たことがなかったであろうウニは、自分をまっすぐ見つめて静かな声で語り、まるで一人前の大人に対するかのように心を込めてお茶を煎れてくれるヨンジに惹かれる。

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これまたキム・ボラ監督が実際に出会った先生がモデルだということだが、それほど親しかった訳ではなく、ただ、烏龍茶を丁寧に煎れてくれたことを覚えていて「(そんな風に)とても小さなことがひとりの人間に与える影響について語りたかった」と振り返る。もちろん、ウニだけが一方的に影響を受けるわけではない。14歳なりに抱えている人生の悩みを真っ直ぐにぶつけてくるウニの姿は、ヨンジにもまた生きる力となったはずだ。年齢も、社会的立場も関係なく、人はお互いに影響を与え合って生きている。ウニに対して圧倒的な力を持っているように見える父親や兄でさえ、思いがけない瞬間にウニの前で弱さをさらけ出す。カメラは時にすぐそばに寄り添い、時にずっと遠くから、ゆったりしたリズムでそれぞれの人物をとらえていく。

映画のクライマックスには、ソウルの街を東西に二分する漢江にかかる聖水大橋の崩落事故が登場する。多くの人々の努力によって87年に民主化を勝ち取り、さらなる経済発展を目指して必死に生きていた韓国の人々が、「なぜこんなことが起きたのか……」と驚き、嘆いた悲劇的な事故だった。テレビで大きく報道され、ソウルだけでなく、全国の人々に大きな衝撃をもたらしたこの事故は、この映画の主人公であるウニにとっても忘れがたい出来事となる。事故や災害(もちろん感染症も)にまつわる“数字”の向こうには、一生消えない傷としてそのことを抱えながら生きていく一人一人の人間がいるという、当たり前なのにすぐ忘れてしまう事実が、静かに伝わる。

14歳の女性が過ごす毎日を、「まるで顕微鏡を覗くように」じっと見つめることで、“ありふれた日々”の中に隠された特別な瞬間を静かに伝えていく「はちどり」。ウニのような強い目の光を持つ誰かと会った時に、丁寧にお茶を入れてゆっくりと話を聞くことのできるような“大人”でありたいと強く思いながら、これから何度も見返すことになるだろう。

Written by : 佐藤結

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「はちどり」
監督・脚本:キム・ボラ
出演:パク・ジフ/キム・セビョク/イ・スンヨン/チョン・インギ
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ユーロスペースにて公開中 全国順次公開


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