*

CULTURE / MOVIE
観る者の精神と神経をざわつかせる
「漂うがごとく」

昨年「ベトナム映画祭」で上映された2本の作品「漂うがごとく」「ベトナムを懐う」が3月23日より公開となる。この公開に合わせ、2作品のレビューを再配信する。


もし、成瀬巳喜男がラクロの「危険な関係」を映画化したら。そんな途方もない妄想がふと浮かぶ。

ここで展開されるのは決して恋愛遊戯ではないし、成瀬に通ずる映画文体が示されているわけでもない。しかし、想うのだ。あるはずもないコラボレーションが、映画史の片隅には転がっているのではないか。わたしたちはたまたま、それを見逃していただけなのではないか。もっと直截に言えば、映画というメディアに起こりうる魅惑的な可能性のひとつを本作は発見させてくれる。

年下のタクシー運転手と結婚した女性はハノイで旅行ガイドとして、通訳として働いている。交際3ヵ月で結婚。夫には幼さがあり、何かと構いたがる母親に依存している部分も少なからずある。新妻はそれを明確な不満として己に落とし込んでいたわけではない。だが、年上の女友達を通じて知り合った、野性的で、ときに暴力的でさえある青年に惹かれていく。

* * *

室内を自由闊達に動き回るカメラの呼吸が艶めかしい。生きものの生理を生きものが見つめているという臨場感が涼し気な肌合いのまま、画面を横行する。そこから浮かび上がるのは、どこまでもフェミニンな感性だ。主演女優の意志的な面構えが、とりわけ女友達との語らいに比類なき官能性を呼び起こす。ボーイッシュな女友達は、ヒロインの不安を愛撫する存在であり、本能の導火線にそっと火を点ける誘惑者でもある。ふたりの姿がレスビアンにも映る映画の構造は、ある意味、その後に起こる波乱以上に、観る者の精神と神経をざわつかせる。

衣装や小道具に至るまで細心の注意が払われているが、この監督が捉えようとしているのはデザインでもなければ色彩でもなく、テクスチャに他ならない。夫側の流れるような挿話も丹念に紡ぎながら、「漂うがごとく」は女性心理のテクスチャに接近する。モラルで抑えつけることなく、人間の推移がここでは当たり前に肯定されている。

*

Written by:相田冬二

「漂うがごとく」
監督:ブイ・タク・チュエン

2019年3月23日より新宿ケイズシネマにて公開


【関連リンク】
「ベトナムを懐(おも)う」